ゴールドコラム Gold Column
近世ヨーロッパの
金(ゴールド)と装飾品のお話
近世と呼ばれるヨーロッパのこの時代(16世紀~18世紀はじめ)は、スペインによる中南米の黄金探しで幕を開けました。
ヨーロッパにもたらされた中南米の宝
1532年11月、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍はインカ帝国に入り、翌1533年までに完全に征服し、多くの金(ゴールド)を手に入れました。
“インカ帝国征服後、スペイン人たちは第二の黄金郷(エル・ドラード)を求めて四方に散っていった。
エル・ドラードとは、もともとは「金箔の人」を意味する。
コロンビア、ボゴタ高原の首長が、金粉をからだに塗り、グァタビータという湖に筏で漕ぎでて、 水中にとびこんで金を洗い落とし、たくさんの金製品を奉納品として湖に投げ込んだ、という現地民族の伝説があった。
そのため、エル・ドラードは黄金郷の代名詞となり、多くのスペイン人を招き寄せたのである。”
(引用:黄金の世界史 講談社)
そして1538年前半までにボゴタ盆地およびその周辺で略奪を繰り返した結果、スペインは約1.5トンもの金(ゴールド)を手にしたのでした。
さらに月日は流れ、17世紀末にはブラジルの奥地で金が発見され、ゴールドラッシュが起こります。
古くからこの地域には多くの金(ゴールド)が眠っていたようですね。
目まぐるしく移り変わるファッション
そんな中、ヨーロッパ本土ではルネサンス期からバロック期へと移り変わり、
新大陸で多くの金(ゴールド)を手に入れたスペインがファッションの中心となっていきます。
16世紀、ヨーロッパの金工技術は最高レベルに達しており、その最高峰と捉えられていた指輪は
特に細やかな彫刻が施されるなど、さまざまなデザインのものがつくられました。
しかしそれが17世紀になると一気に簡素化され、指輪本体よりも宝石の方がメインになっていったようです。
金(ゴールド)を使った装飾品としては、カフスボタンやステッキ(握り部分が金(ゴールド))がこの頃に登場しました。
実用的というよりファッションとして、人々が装飾品を楽しんでいる様子がうかがえますね。
参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社
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